良性

昨日口腔外科に行きベロの抜糸してきた。

一抹の不安があったが良性とのことでひとまずほっとした。

白板症とのことで今後も固くなっていないか等確認するようにとの

事だった。

悪性だともっと大きく切除の必要があるとのことで少し不安だったが

良性で正直ほっとした。

抜糸するまでは食べるのにかなり違和感があり痛かった。

ようやく食べるのに違和感がなくなりすごくうれしい。

食べることが大好きな身としてはほんとに嬉しい。

ほぼ一週間禁酒してしまった。

食べるのが苦しいと酒も欲しくなくなるようだ

1週間の禁酒、我ながら奇跡だ

べろ切った

今日 ベロ下の白板症切除の手術をして今帰ったところ

ベロの局部麻酔をして切除

メスだったのかレーザーだったのかは顔に布を掛けられたので

分からない。

その後2針縫ったのは糸を引っ張る感覚で分かった。

10分位で終了、止血に20分で合計30分

鈍い痛みはあるが今までこの身体では様々な病気とケガで痛い思いを

してきたのでその中ではあまり痛みとは言えない程度だったな

先生の説明によると明日は経過確認、一週間ご抜糸、二週間後病理検査結果

分かるとのことだった。

もし悪い場合はもっと大きく切除が必要とのこと「正直」怖い

誰にも相談できず苦しい。

寂しさ+苦しさ=?

 

 

口内炎

舌の左側が辛い物を食べると痛い

前からおかしいとは思っていたが

少しの違和感だけだったので気にもしていなかった。

もう数か月になるのかな

2週間くらい前に舌を鏡で見たら

舌の左側の裏側に白いヘルペスのようなものがあるのに気付いた

薬局でトラフルという塗り薬を買って毎日塗っていたが改善しない

今日口腔外科に行ってみてもらった。

白板症との診断だった、10/5に白くなっているところを切り取る

そうだ、そして病理検査をしてから悪性か良性かが判断できるとのこと

悪性はいわゆる舌癌でとても不安だ

言える相手もいない、苦しい

まあそれも俺の生きざまだしょうがない

トイレ

最近洗浄便座のないところで「大」すると

どうも肛門周りが心地悪い、かと言って初めての所とか公衆トイレで

洗浄を使うのもなんかキモチ悪い。

そんなことが気になる、特にきれい好きでもないしましてや潔癖症でもない。

そんなことを一人考えていたら、昔のトイレ事情を思い出していた。

物心ついたときは夜トイレに行くのはすごく怖かった、母親と一緒じゃないと

行くことが出来なかった。

それと言うのも、トイレは家の外だった「しょんべすま」と呼んでいた。

かやぶき屋根の家の玄関を出ると1間半(2.7m)くらい隔てた畳一畳分広さの

小便所とぽっちゃんの大便所があり、照明は裸電球が各々ひとつづつ。

道路も車なんか夜は全く通らない、そもそも車なんか日中にバスとトラックが

たまに走ってるだけだった昭和30年代後半の田舎町。

夜は満点の星空、曇っていれば真っ暗闇そしてキジバトの「ででぽー、ででぽー」鳴き

声怖くて仕方なかった。

トイレは穴に板が渡してあるだけ、落ちたら大変 臭いし怖い。

かあちゃんのてを握らなきゃとても行けるもんじゃない。

トイレットペーパーなんかあるわけもない、新聞紙のA4番くらいに切ったものが

重ねてありそれを手で「もじゃくって」柔らかくしてけつを拭く、それでも別に

心地悪くも何ともなかった、それが今は心地悪いなんて贅沢になったもんだそして

ひ弱になったんだな。

ぽっちゃんトイレはおつりがくるし絶妙のタイミングで尻を浮かす必要もある

これがなかなかコツがいる、でもどこもみんなぽっちゃんだから自然とみんな

覚えてしまう。結構大きくなるまで水洗トイレなんて見たこともなかったし

知らなかった、洋式トイレなんて存在そのものを知らなかった。

糞尿は大事な肥料で畑にまいていた究極の循環型農業だ。

だから野菜は生では食べなかったと思う。上水道なんて当然なし「井戸水」が

飲料水、子供は蟯虫がいて小学校では検査の「ポキール」定期的にわたされ

くすりも学校で配られていた。

そうだな昭和42.3ねんころまでだったような

環境で人は変わるもんだな、そんな不衛生な環境で育ったのに今では洗浄便座

水洗でないと我慢してしまう時だってあるし臭いトイレなんて論外だ

じぶんのことながら同じ人だと思えないね。

 

 

生まれた日

今日生まれた、64年前に

小さな田舎町そして今もそこに住む。

当然生まれた時のことは知る由もない

最初の記憶は爺さんの背中に背負われ自転車に乗っていた。

爺さんの汗のにおい・・

よく背負われていたんだろうな、かすかな記憶

しっかりした記憶は秋の託児所での会話から始まる

〇〇さん死んだだとの一言

砂場で遊んでいたところから駆け出した、家に着いたら爺さんが

寝かされていて白い布が顔を覆っていた。

すごく長い間泣いてたように思う。

そこで記憶は終わる、その後の葬儀の様子は全く記憶にない。

小学校入学前の秋のことだった。

小学校入学後はほとんどの記憶はあるがその前はその二つしかない。

入学は昭和39年大きな出来事は二つ

新潟沖地震東京オリンピック

新潟沖地震は小学校の教室にいた、古い木造校舎揺れたすごい揺れた

教室の小さな自分の机の下に隠れた、その後校庭に逃げることになったが

その揺れはほんとすごかった。あの日晴れていたな・・・確か

東京オリンピックは白黒の小さなテレビで夢中で観戦した子供ながらに

感動し強い印象が心に刻まれた。

これがその後のスポーツ好きに繋がったように思う

生まれた日に空想はそこまで還っていった。

 

 

 

小さな目標達成

オリンピック開催されてほんとに良かった。

楽しい半月を送らせていただきました。

しかも個人的な目標を幸運にも達成することが出来ました。

きっかけは何気なく見たテレビでした、何年前かは忘れたけれど・・・

世界3大スポーツイベントとはサッカーのワールドカップラグビーのワールドカップ

オリンピックだということ。

その時にはもうサッカーのワールドカップは観戦済みだったので、何とか残り2つは

体験したいものだと考えていた、それがラグビーワールドカップ、オリンピックも

自国で開催が決まった。

サッカーワールドカップ

2002/6/9 15:00~ 宮城スタジアム

予選リーグ メキシコ(2) VS エクアドル(1)

生まれて初めて一度にあんな沢山の外国人を目にした。

スタンドはナショナルカラーの緑と黄色に二分されて素晴らしい雰囲気だった。

メキシコにはまだブランンコもカンポスもいたな・・・

ラグビーワールドカップは何としても石巻で見たくて予約がんばったが、なかなか

チケットがとれず参っていたが直前に奇跡的に取れた。

2019/9/25 14:15~ 石巻 鵜住居復興スタジアム

予選リーグ フィジー(27) VS ウルグアイ(30)

さっかーとは対照的な両チームのファンが入り混じる、フレンドリーなスタンド

ビールを飲みながら晴天のなかほんと楽しめました。

席の後ろにはサンドイッチマンの2人がいました。

ブルーインパルスが快晴の中を飛行、地元の方々の歓迎が嬉しくて最高

鵜住居の2試合目は集中豪雨で中止残念でした、そんな中観戦できたのは

ほんと有難いことでした。

オリンピックは見たい競技が沢山ありました、陸上、体操、卓球そしてサッカー

夜中までインターネットにかじりつき、いっぱい申し込みをしました。

たった2枚だけ当選しました、女子サッカー予選リーグ

そんな中コロナが蔓延し1年延期そしてことしも状況は好転せず無観客に

諦めかけた時に宮城だけ観客入れてくれることに・・・奇跡

行ってきました

宮城スタジアム

2021/7/21 17:00~

予選リーグ 中国 (0) VS ブラジル(5)

      ザンビア(3)VS オランダ(10)

2021/7/24 17:00~

予選リーグ 中国 (4) VS ザンビア(4)

      オランダ (3)VS ブラジル(3)

アルコールなし入場人数制限あり

しょうがないことだけど少し寂しい思いも・・・

やっぱり真剣勝負ピリピリする雰囲気やっぱりオリンピックだなー

2強2弱ははっきりしていたけどザンビアのスピード、中国の高さ強さ

組織力、戦術の差がレベルの差かな?

 

自国での3大スポーツイベント観戦 達成

まだまだ見たいよね スポーツ

 

 

 

 

 

自己分析

短所                  長所

気が小さい               堅実

飽きっぽい               しつこい

数字によわい              歴史、文章が好き

涙もろい                やさしい

自己表現が下手             話好き

見栄っ張り                                           

気が短い

自己中心                

不器用                 ものつくりが好き

理屈っぽい               知識欲が強い

美的センスが悪い